びっくりのホテル

オリンピアから南へ下りメトーニ(Methoni)へドライブ。
ガイドブックお勧めのレストランで昼ご飯を。下のは私の肉詰めナスです。

ギリシャ料理を食べ過ぎたためか、それほど感動はありませんでした。
代表的なギリシャ料理、ムサカはこの旅で嫌いになってしまったほど。
ギリシャサラダとかサガナキとかは依然として好きですけれど。

レストランの近くの海にベネチア時代の要塞があったのですが、暑すぎて挫けて行きませんでした。
写真もありません。

この日の泊りはコロニという海辺の町。
前日にどこに行こうかと迷い、海の見える部屋が予約できるというのでホテルを決めました。
ホテルへ行ってみると、奥のほうでお昼寝をしていたらしきおばさんが出てきて対応してくれたのですが、英語ができません。どうやら家族経営のホテルのようです。

息子に電話して通訳をしてもらった結果、海の見える部屋は、手違いで他の人を入れてしまったのでした。仕方がないので、オリーブ畑が見下ろせる部屋にしてもらったら、今度はネットが使えず、3度目の正直で、全く景色の見えない部屋へ。この部屋はネットの使えない部屋よりも大きく、居心地は良かったのですが、バスルームの電気がつかないことが発覚。おばさんに文句を言いに行って、再び息子に電話してもらって、、、しばらくして今度はおじさんがやってきて、「2部屋続きだったのを別々に分けて改装したら、バスルームの電気がつかなくなったんだよねー。悪いけど、中庭を通ってぐる~っと回ったところにある別の部屋のバスルーム使って。鍵はかけてないから~。」と。なんてこと。

結局、悪かったから、と宿泊料はタダでした。
そうじゃなかったらトリップアドバイザ―などに文句をたらたら書くところでした。
ネットで見ると評判は悪くない宿なのです。最近は何かあるとすぐにネットに書かれてしまいますから、サービス業も大変ですよね。無料宿泊の為ホテルの名前は伏せます(笑)

オリンピック会場

ゼウス神に捧げる古代ギリシャ男子の裸の祭典、オリンピックの会場です。
下はジムナジウム。競技者のトレーニング用の施設です。屋根も付いていました。
今の体育館を大規模にして、豪華にした感じ?

ゼウス神殿。
オリンピック開催時には牛を屠ってゼウスに捧げました。
実際は少しだけ捧げて、後は皆で食べていたそうです。さぞかし大宴会だったことでしょう。

博物館にゼウス神殿の破風の彫刻が展示されていました。破風の彫刻だけでも壮麗です。本物はどんなにか。見てみたかった~。

こちらはゼウスの妃、ヘラに捧げられた神殿です。 紀元前7世紀の建物で、ギリシャ最古の神殿と言われています。オリンピックの聖火を灯す儀式が行われるのがここです。

プリタニオンという建物です。普通は市庁舎などのことを言うのだそうですが、この場合はゼウスの大祭の責任者達が居たところでした。競技の勝者達と招待者達がここで宴会をしたのだとか。

フィリペイオン。マケドニア王フィリッポス2世が戦争の勝利(紀元前338年)を記念して建てたもので、息子のアレクサンダー大王を含む金と象牙でできた家族の像が安置されていたそうです。人間に捧げられた建物はこれだけだったのだそうです。この王様、相当羽振りがよかったのですねー。

ゼウスのブロンズ像が乗っていた台座。16の台座が現存しています。

ゼウスの像は競技でズルをした選手からの罰金で作られました。選手の名前と、どんなことで罰せられたかが台座に書かれているのだそうです。遠くに見えるのが競技場へのゲートです。競技場に入るにはどうしてもここを通ります。これから競技する選手たちへの戒めとして置かれていたのです。

そして、これがゲート。

競技場です。石でスタートラインが作られています。
スタートの仕方も面白いのですが、それについては後日また。

オリンピアのホテルはとても居心地の良い所でした。

芝生での食事が楽しかったです。

レッチーナと呼ばれる伝統的な製法で作られているワインがあります。その昔、甕でワインを保存していた時に、蓋を密閉するために松脂を使っていました。その松脂の風味を伝えるワインです。飲んでみたいと思っていたのですが、不味かったら嫌だと躊躇していました。このホテルのレストランで、「試してみたいんだけどー」と言ってみると、グラスになみなみと「サービス」してくれました。残念ながら、好みの味ではありませんでしたが、旅の思い出となりました。

オリンピア・前置き

ミコノス島にも行く予定でした。ミコノス島からフェリーで行ける遺跡の無人島、デロス島に行きたかったのです。
けれど、ミコノスはサントリーニ島と並んで観光客が多い島です。特に大型のクルーズ船が着くと、押し合いへし合いの混雑になります。サントリーニ島であまりの観光客の多さに閉口してしまったので、ミコノス島は見送ることにしました。
島も良いけれど、基本的にどの島に行ってもビーチでうだうだは変わりません(汗)
それよりはとギリシャ大好きの知人の絶賛お勧めのペロポネソス半島に行ってみることにしました。

ナクソス島から飛行機であっという間にアテネ、空港で車を借りて、まず目指したのがオリンピアです。
紀元前8世紀から紀元4世紀まで続いた古代オリンピックの開催地です。

古代のオリンピックは4年に1回の大行事でした。戦争時でもオリンピック期間中は休戦になったりしていたそうです。参加者はギリシャの市民権を持つ男子のみ。ギリシャ各地はもとより、今のフランスやスペインなどからもはるばる参加したそうです。

そして、なんと競技は全裸で行われました。レスリングとバンクラチオンと呼ばれる格闘技では全裸の上に体中に油を塗っていたとか。競技はその他にも円盤投げ、ボクシング、短距離競争、幅跳び、戦車競走など。

。。。2日続けて早朝ゴルフだったので、今日は早寝しますー。
実際のオリンピアの様子は明日に。

ナクソス島のレストラン

今日はナクソス島の美味しかった料理について書くぞ~と思ったのですが、ギリシャの料理って視覚的に今一歩なのです。ご容赦ください。

入り浸っていたビーチ沿いのレストランのメニューです。

下のは前もって予約をしておかないと食べられない魚のスープ。
スープ用の魚が手に入らないとできないし、作るのに時間もかかるのです。
レモンの風味がきいていて、見た目はともかく、中身は大満足の味でした。

スープに使った魚が一緒に出てきてしまうのが、ギリシャ!
美味しさはスープに出てしまっていると思うのですが、それでもまあまあ美味しかったです。

昼間はビーチにレストランのビーチチェアーがずら~っと並んで、そこでごろごろしながら、レストランに飲み物や食べ物を注文するというシステムになっています。そして、夜になると

ビーチがレストランに。
夕日を眺めながら食事をし、暗くなるとキャンドルに灯がともります。
ロマンチック~♪

もう一軒気に入ったレストランはここ。

ナクソス・タウンをうろうろしていた時に見つけました。
ふたりのおばあちゃま達が料理を担当。
テイクアウトを注文して、出来上がりを待っていた地元の人が「ここは本当にお母さんの手作りの味だから~」と自慢げに教えてくれました。

フェタチーズたっぷりのサラダ。

野菜の煮込み。

散々ギリシャ料理を食べて、もう当分いいわ~と思っていたのですが、写真を見ているとまた食べたくなってきました(笑)

ナクソス島

フェリーで次の島、ナクソス島へ。
フェリー乗り場にはスーツケースを持った人々の群れ、群れ、群れ。まるで難民の大移動の様でした。
ナクソス島だけでなく、色々な島へのフェリーが出ています。
フェリーは1時間25分ほど遅れて出発。遅れたり、欠航したりするというのは聞いていたのですが、やっぱり。ですが、今回の旅で、時間通りに事が運ばなかったのはこの時だけでした。
比較的幸運だったと言えるのではと思います。

快速フェリーに乗ったのであっという間にナクソス島に着きました。
ナクソス島はキクラデス諸島と呼ばれる島々(サントリーニ島も含まれます)の中でいちばん大きく、唯一食料を自給自足できる島です。その為、食事も美味しいのだとか。そこ、ポイント高しですよね?

そして、ビーチがとても綺麗だったのです。見て下さい、この透明な水!

水着写真も撮りましたが、とても公開できないので、足だけ(笑)

泊ったのはアギア・アナという地域で、4日間の滞在中、ほとんどビーチやプールサイドでうだうだしていました。
10分ぐらい歩いたところにはアギア・プロコピオスというビーチもありました。ビーチの綺麗さは変わらず、こちらのほうが観光客が多いので、アギア・アナにして正解でした。

ごろごろの合い間に首都のナクソス・タウンに行ってみました。
ナクソスの象徴とも言えるアポロ神殿のポルタラ(門)。紀元前530年頃のものだそうです。

そこから見たナクソス・タウン、

町の中は細い道がくねくねと続き、その両側に土産物屋、レストラン、カフェなどが続いていました。

噂の通り食事も美味しく、大満足でした。明日は食事の話です。

フィラへ

夕日の綺麗なイアからサントリーニ島の首都フィラに移りました。
イアかフィラのどちらに泊まろうか悩んで、結局両方に泊まることにした結果です。
どちらかと言えばイアのほうが好みだったかなと思います。
どちらの町も観光客で溢れかえっていたのですが、ハイシーズンの7、8月になると6月の3倍ぐらいの数になるのだそうです。怖いわ~。

フィラの町角。

画廊の装飾が楽しい~♪

路線バスはフィラからの発着になるので、どこへ行くにも便利です。しかも、路線バスが観光バスのように大型で、窓も大きいのでとても快適でした。そのバスを利用してペリッサビーチに行ってみました。
黒い砂浜です。


ビーチをうろうろして、お昼を食べて帰りました。


この翌日に次の島に渡りました。今回は短くてすみません。次に続きます。

シーフードを求めて

島にいるのですから、美味しいシーフードが食べたいではないですか?
そこでホテルの人に尋ねると、港に面したレストランがお勧めとのこと。
港までず~っと階段が続いていて、下っていくと10分ぐらいで港ですよ~。
そうですか、そうですか、行ってみようじゃありませんか~♪
この軽い乗りが「地獄の階段」への恐怖の第一歩でした。

ずっと下のほうに見えるのが港です。

階段ですが、延々続くのはまあ仕方がない(絶対に10分以上!)にしても、石で舗装されていてガタガタ、しかも一段一段が平らではなく、下に傾斜していて歩きにくいことこの上ありません。もっと悪いことに、あちらこちらに落ちているロバのフンを避けて歩かないといけなかったのでした。

昔はサントリーニ島というとロバで急斜面を上がっていくので有名でした。
今は車道があって、ロバを使わなくてもタクシーで大丈夫です。ですが、観光用にロバもいるのです。
レストランに着いてから、お店の人に、階段を下ってきたと話したら、「え!どうして?タクシーを使わなかったの?」とびっくりされました。ホテルの人の案内は何だったのでしょう、うっく(涙)

ロバはこの可愛いビールの銘柄だけにして欲しかった~。サントリーニ島の地ビールです。

やっとたどり着いた港。

レストランです。

大盛のサラダと下の写真の魚のグリル。美味しかったですが、シーフードは日本で食べたほうが良いかも。

愛ちゃんママさんのリクエストにより、白とブルーの写真を載せておきます。

夕日に映える白とブルーも。

もうひとつサントリーニ島で嫌だったことは、トイレットペーパーをトイレに流せないこと。トイレの横に置いてあるゴミ箱に捨てます。島の下水事情の為だそうです。火山岩でできた島なので、下水道の建設が難しいのかもしれません。
実はサントリーニ島だけでなく、ギリシャのあちらこちらでそういうことがありました。配水管が細すぎるのだそうです。配管やり直せよーっと思います。ほら、わんこもふて寝しているじゃありませんか!

ギリシャは何処へ行っても自由~なわんこが多く、この子も飼い犬のようなのですが、放し飼いです。
朝のひんやりした歩道の真ん中で寛いでいました。

島に到着

愛ちゃんママさん、お待たせしました。ようやくサントリーニ島です。

アテネからサントリーニにフェリーで行くか、飛行機にするか迷ったのですが、高速フェリーで5時間、飛行機は45分、、、飛行機でしょ~。旅の情報を集めていた時に、ギリシャはフェリーが遅延したり、欠航したりすることがあり、それどころか空の便も遅延するなどと怖ろしい話をあちらこちらで聞きました。飛行機、大丈夫かしら―と内心ヒヤヒヤでした。

ところが予想に反して、定時離陸、定時に到着。スムーズで快適な空の旅でした。
イアで3泊、フィラで2泊しました。
イアのホテル。サントリーニの色、白とブルーで、ゆったりとしたホテルでした。
暑いのでプールは必須です。

イアは夕日が綺麗なので有名です。ホテルには夕日を見る為の高台がありました。

こちらは違う日のレストランのテラスからの夕日。曇っていたのですが、それはそれで、雲が夕日に照らされて幻想的です。

夕日を撮影する人々。

日本でだって海に沈む夕日は綺麗ですし、我が家からも夕日は見れます。
なので、夕日を見るだけの為だったら、別にサントリーニ島に来る必要はないかなーなどと思いながらの夕日鑑賞、、、

撮影と言えば、ハネムーンの写真を撮る中国人カップルがうじゃうじゃいました。

カメラマンとアシスタント付きで、あっちにもこっちにも。暑いのにドレスとスーツで、大変でしょう?と思うのですが、熱々カップルにはそんなこと気にもならないのかもしれません。

とにかく絵になる島なのです。

お店のマネキンまで絵になってしまいます。

絵になる風車もあります。

サントリーニ島の話、次に続きます。

古い建物なのですが、、、

早朝のデルフィ遺跡見学からホテルに戻り、シャワーを浴びてホッと一息。
ギリシャではホテルのチェックアウトが12:00なので、余裕があって助かりました。
次の日の早いフライトでサントリーニ島に向かう予定の為、この日はアテネ空港の近くに1泊です。
デルフィからアテネまでは車で2時間ほどです。

ホテルを出てから海を見に行ってみました。

海辺の小さな町、Lindosのシーフードレストラン、Dolphins(いるか)にて。お昼。
例によって小魚のフライ、そしてエビのサガナキです。エビをトマトソースで煮こんで、フェタチーズを加えたもの。
この二皿と、山盛りのサラダ(ギリシャのサラダは大量です)、そして、レストランでは注文しなくても必ずと言っていいほど出てくるパンとでお腹がいっぱいです。パンはもちろん料金を取られます。いらないならば断っても大丈夫です。

ギリシャ料理は見た目に凝っていないので、写真を撮る意欲があまりおきません。
よって、サラダの写真はありません。

時間があるので途中にあった世界遺産、オシオス・ルカス(Hosios Loukas)修道院へ行ってみました。
ビザンチン中期の建物だそうです。敷地はかなり大きいです。今でも現役の修道院だそうです。

作られたのは10世紀。

聖堂に金地のモザイクが残っていました。

実は「あら~、紀元10世紀のだなんて、新しい~」などとうそぶいて、真面目に見学しなかったのは私です。デルフィ遺跡の直後だったので、時代感覚がずれていました(笑)

お告げを受けに?

メテオラに2泊した後、少し南に下り、着いたのがここ「世界の中心」です。

ゼウスが水平線の両端から2羽の鷲を放ち、それが出会ったのが「世界の中心」デルフィだったという言い伝えがあるそうです。アポロ神殿に使える巫女ピューティアがトランス状態になって告げる神託によって、国の重要事項を決めていたと言います。紀元前8世紀には神託の権威が確立していて、紀元4世紀まで続いたのだそうです。

遺跡には必ず博物館が併設されています。
デルフィに着いた日が珍しく雨だったので、博物館に先にいきました。そして翌日に遺跡の見学。
この順番のほうが遺跡の由来などが分かって良かったのですが、他の遺跡見学の時は暑すぎて、博物館を先にするすると、遺跡を見る時には太陽がカンカン状態になるので、博物館を後にせざるを得ませんでした。

前置きがながくなりましたが、デルフィ遺跡です。
歩く順番とは違うのですが、何はともあれアポロ神殿。

こんな建物だったそうです。中央にアポロの像があって、神託が行われたのは地下だったとか。

神殿には各地から多くの貢物が贈られました。それを収納しておく宝庫の跡がいくつか残っています。いちばん保存状態がよいのが、アテネの宝庫です。

こんな感じの建物だったそうです。

ローマ時代のアゴラは入り口付近にありました。

デルフィの聖域のあちらこちらに高い像が飾られていたようです。

見たかったですね~、昔のデルフィ。

どんなお告げがいただけたことか。実際の予言はかなり抽象的で、解釈によってどうにでも取れるようなものだったそうですけれども。

劇場もありました。

競技場も。

ここではオリンピックのように4年に1回、競技大会が行われていたそうです。
現在でもオリンピックの他に、色々なスポーツの世界大会がありますから、今も昔もそういうのが好きな人間の性格って変わらないようですね。