コインブラ

石づくしの2日間の後、目指したのは大学の街として名高いコインブラです。
コインブラ大学はポルトガル最古の大学で、初めリスボンにあったのが、コインブラに移ったり、またリスボンに戻ったりした後、最終的に1537年にコインブラに落ち着いたそうです。

ホテルから見た町。丘の上に見えるのが目指す大学の建物です。
また上り坂。。。

頑張って坂道を上がり、階段を上がって、辿り着きました。
中庭にある時計塔は18世紀のもので、大学のシンボルなのだとか。

金泥細工で飾られたジョアニナ図書館を見たくて、ここに来ました。
残念ながら内部は撮影禁止でした。せっかくなので、図書館への扉だけでも見てください。

装飾過多ではないでしょうか?の大学内の教会。

もう一つの目的はコインブラのファドです。
女性がその心情を歌うリスボンのファドとは違い、コインブラのファドの歌い手は男性のみです。
衣装は黒いマントが決まり。
元々は愛する女性に捧げるセレナーデだったそうで、明るい歌が多いという印象でした。

この日のランチは鰯のフリッターとマッシュルームと肉の煮込みでした。

食事の後のコーヒーに、オビドスで飲んださくらんぼのリキュール、ジンジャがついてきました。

石づくし

ヴィゼウでは観光を全くしませんでした。
その代わりと言ってはなんですが、綺麗な服の在庫が少なくなってきた為、ショッピングセンターに寄りました。

噴水やスケートリンクまである大きなショッピングセンター。
この町は結構大きな町だったのです。下はホテルのバルコニーから見た景色。

そんな都会を後にして、この日の宿はベルモンテという村のポサーダです。
その昔は修道院だった建物です。外観はこんなですが、中は快適でした。

それぞれの部屋の前の壁に修道士のイラストが描かれていました。私達の部屋はルイス修道士。

中庭もありました。

ここを起点にして、周囲の村を訪ねました。
まずは、手持ちのガイドブックによれば「ポルトガルで最もポルトガルらしい村」、モンサントへ。

村の中に岩があるのか、岩の中に村があるのか。

この旅は天気に恵まれていたのですが、ここで初めて雨に見舞われました。
石造の家と巨石に囲まれて、寒々しいのです。

夫は大喜びでした。男性向けの村かも。

翌日はソルテーリャという村へ。ここも石畳、石造りの家、石だらけです。

家のドアの高さが低すぎるのはなぜ?

このふたつの村は先発した友達カップルのお勧めの地でした。
ドアの低さは「小人が住んでいるから」というのが奥さんの方の説でした(笑)

***

私達の旅行中、ケローナは寒かったそうで、やっと秋に植えた球根の花が咲きました。

観光しなかった日

ドウロ渓谷を後にして、南へ。

途中で羊と羊飼いに道を阻まれたりしながら、たどり着いたのは、ヴィゼウという町です。
ここはダオンと呼ばれるワインの産地の中心です。
泊まったのはポサーダ・ヴィゼウ。19世紀に建てられた病院を改装したホテルです。

ちょうどロビーでお菓子祭りが開かれていました。
オビドスに続いて、お祭りづいています。

チェックイン時にハプニングが。予約が見当たらず、係の人がパソや書類を見直している間に、自分の持っている書類を見ると。。。チェックインの日にちが昨日の日付!
何年も旅行の予約は自分でしているのですが、こんな失敗は初めてです。
間違いを申告すると、同じグレードの部屋はいっぱいだけど、グレードを下げるか、上げるかすれば大丈夫。
予約したのよりも良い部屋はすぐにチェックインできますよ〜とのこと。
ポルトガルの人達って優しいのです。国民性?
それほど値段も違わないので、良い部屋にしてもらって、すっかりくつろぎの体制。
実はこのホテル、スパがあって、トルコ風呂、サウナ、ジャクジーが利用できます。
お菓子祭りで、買い込んだお菓子を賞味後、スパでくつろぎ、夜はホテルのレストランで。
ポルトガルのレストランでは必ず食事の前にオリーブとオリーブオイルとパンが出てきます。
それがどれも美味しいので、食事の前から既に食べ過ぎの予感。

夫の前菜。これ、多過ぎでしょー。

夫は食事後、シガーラウンジに移動して、葉巻とブランデーを楽しんだのでした。
私は部屋でのんびり。
結局、ヴィゼウの観光は全くせず、ホテルから一歩も出ずに、この日は終わったのでした。

ワインと観光と天ぷら

ワインの産地にいるので、ワイナリーを訪ねなければ、とやってきたのが、

キンタ・ダ・ローザです。旅の下調べをしていた時に良さそうなワイナリーと目星をつけていました。
ワインの樽は数年で新しいのに替えます。

ポートの樽は取り替えません。黒光して、いかにも年代物の樽です。

テイスティング〜♪

ワインを2種類とポートを2種類いただきました。
普通のワインだけではなく、ポートワインも味わえるのはドウロ渓谷ならではです。

ボートにも乗りました。ポート乗り場はホテルの近くのピニャオという町にあります。
近くといっても、どこに行くにも、恐怖の曲がりくねった山肌細道を通っていかないといけないのですけれど。
あまりに何回も同じ道を往復していたので、仕舞いにはかなり慣れてきたような気がします。
ともあれ、ピニャオの駅です。ここにもアズレージョ。

近くのにはこんなものもありました。

その昔はここにワインを貯蔵していたのだそうです。
2日目だけ姿を見せた英語の話せる宿の人に聞いたところ、予約なしでも大丈夫だとのことだったので、ボート乗り場に行ってみたところ、12時のはいっぱいだと言われ、1時半まで待たないといけませんでした。

そして、1時半のボートに乗ったのは私達ふたりだけでした。貸切〜♪
河風が気持ちよくて、ボート係の人も親切で、楽しい経験でした。

最後にはやはり食べ物。
先に出発した友人カップルのガイドさんのお薦めだというレストランへ。
友人達が行った時は月曜日でレストランが閉まっていたそうです。

天ぷらの故郷、ポルトガルでテンプラを賞味!
モロッコインゲンの天ぷらのようでした。味は普通のフリッターのような味でした。
もっと後で、エヴォラという町のビストロで食べたのはもっと日本の天ぷらに近い食感でした。

ポルトガルのホテルにはどこでも朝食がついています。かなり豪華です。
ついつい食べ過ぎて、昼は抜かしたり、3時頃に食べたりと、食事時間が変則になっていました。

ドウロ渓谷

次の目的地、ドウロ渓谷にやって来ました。
ポルトと共に、今回の旅でいちばん印象に残った場所です。

旅の宿に選んだのはキンタ・ダ・マルカ。キンタというのは農場とか、荘園とか、広い土地を意味するものらしく、その中にワイナリーも含まれていて、ドウロ渓谷で”キンタ”と名前のつく場所はワイナリーです。
多くのワイナリーがその広い土地の一部を使ってホテルを経営しています。
ナビの指示に従って、ホテルへの道をドライブ。
これがもう、物凄いのです。

山肌に沿った曲がりくねった細い道、片側は山、片側は崖でガードレールなんていうものはありません。
これで対向車が来たらどうするの?

そして、見渡す限りどこまで行っても葡萄畑です。

私たちの住んでいるケローナもワインの産地で、ワイナリーが多いと思っていましたが、規模が違いました。
下がホテルからの景色です。

ホテルは部屋がたくさんある大きな家といった感じで、季節外れなのとコロナのせいで、1泊目は私たちだけ、2、3泊目はもう一組だけと宿泊客が少なく、広いリビングルームでテレビを見たり、おやつを食べたりとのびのびさせてもらいました。オーナーの奥さんがイギリス人だったとかで、内装はイギリス風です。

ただ、英語を話せるスタッフが2日目にしか姿を見せず、コックさんと話が通じず、1日目の夕食にステーキを注文したのに、タラのキャセロールが出てきてしまったのだけが残念でした。いくらタラがポルトガル名物とはいえ、開けてしまったのは赤ワイン。。。

上は朝食用のテーブルです。ドウロ川の景色を眺めながら優雅に朝ごはん〜♪

ボン・ジェズスとギマラインス

仲良しのカップルが私達が出発する1週間前にポルトガルに旅立ち、同じようなルートを旅していました。
そのカップルは事前に現地の旅行者に依頼して、レンタカーとホテルと旅程をアレンジしてもらいました。
専門家が立てた旅程なので、良い場所を選んでいるはずです。そこで、時々、メールをやりとりして、その時にどこにいるのか、おすすめの場所はどこかなどを教えてもらっていました。

おすすめ場所のひとつが、ブラガという町の外れにあるボン・ジェズスです。
キリスト教の巡礼地で、海抜400mの丘の上に教会が建っています。
ポルトを出て、そのおすすめの場所へ。

階段はバロック様式なのだそうです。美しいのですが、最初に見た感想は、
「これ、登るの?」でした。ヘタレ〜⁉︎
ちなみに階段数は575段とか。

軟弱者ふたりは登らず、横にあったケーブルカーに乗車。
下のは少し階段を下りてみたところからの画像です。
階段の区切りごとに泉があって、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、感覚の泉、そして、信仰、希望、博愛を表す泉があるのだとか。登らなかったので、よく分からず、後でガイドブックを見て、知識を得たのでした(笑)
ちなみに教会が建てられたのは、1784年から1811年にかけてだそうです。

せっかくなので内陣も。

次に行ったのは、ギマラインスという町です。
ここは初代ポルトガル国王アルフォンソ・エンリケの生誕の地です。
旧市街の情緒豊かな街並み。ゆっくりと時が流れている感じがします。

細い路地。

とても良い匂いがすると思って周りを見渡すと、

みかんの花が満開でした。
この日から3泊、ワイナリーの宿泊施設に泊まります。
旅はまだまだ続きます。

***
昨日の夜中に大量に吐いてくれてしまいました。
歩きながら吐くので、あちらこちらに。。。
以前にも同じことがありました。夕食が早すぎるとお腹が空きすぎて、夜中に胃液が逆流して、吐いてしまうのではないかというのが、お医者さんの意見です。この日の夕食は6時。いつもは7時頃にしているので、少々早かったのかも。吐いている時に、少しフードを食べさせたら治りました。
おまけに今日は朝から雨で、元気がない大翔です。

ポルト観光、続き

ドウロ川の対岸には30軒ぐらいのワインセラーが集まっています。
ドン・ルイス1世橋の下の部分を通って、対岸へ。

川にはボートがたくさん浮かんでいました。その昔にはワインの運搬に使われたのでしょう。
今は多分どれも観光用です。

アパートの管理人、ファビオくんおすすめのワイナリーへ。
これが遠くて、しかも坂の上。どうしてお勧めだったのか、かなり疑問です。
坂の上なので景色がよかったからなのかも。

せっかく来たのだから、試飲ぐらいは致さねば。
ポートワインは発酵途中のワインにブランデーを加えて発酵を止め、甘みを出したものです。
その昔、ここからイギリスまでワインを運ぶのに、そのままでは品質が下がってしまうので、それを防ぐのに考えられた方法なのだとか。イギリスの企業が始めたワイナリーが多いので、会社名も英語のものが多いのです。
私達が訪れたのもグラハムというワイナリーでした。
白は1種類ですが、赤は、ルビー、トウニー、ビンテージなど色々と種類があります。ルビーが一般的なもので、トウニーは黄褐色になるまで熟成させたもの。ビンテージは特に質が良かった年だけの葡萄を使い長年熟成させたものだそうです。
旅の途中、色々なところで飲んでみましたが、甘いので、それぞれのワイナリーの味の違いはよくわかりませんでした。トウニーはキャラメルのような味がするので、気に入りでした。

さて、ポートワインで喉を潤した後は、橋の上部を渡って対岸に帰るべく、ロープーウェイに乗りました。
これ、楽しみにしていたのですが、あっという間に着いてしまって、少々不満(笑)

橋の上から見た対岸の景色。ケーブルカーの線路が見えますが、動いていませんでした。

ポルトガルのあちらこちらで見たオレンジの木。
オレンジが鈴なりです。もいで持って帰りたい〜と何度思ったことか。
後ろの城壁が良い味出していませんか?

下のは多分サン・フランシスコ教会。
ここではなくて、金泥細工が一面に施された内陣が有名なのですが、撮影禁止でした。

下のは昔の証券取引所だったボルサ宮。取引所がリスボンに移るまで使われていたそうですが、今は催事場になっています。下のはとりわけ豪華な「アラブの間」。アルハンブラ宮殿を模して作られたそうです。

2日目のランチは、坂の途中の小さなレストランで。

名物料理だという臓物の煮込み、トリパスを食べてみたかったのです。

イタリア料理のトマトソースとチーズたっぷりの臓物煮込みをイメージしていたのですが、全然違いました。
豆が入っているので、フランス料理のカスレに臓物を入れたような味でした。
これはこれで美味しかったです。

ポルト観光1日目

旅レポ、毎日更新のはずが、昨日は体調不良でダウンしていました。
頭痛がして、食べ物を吐いてしまって。夜の8時ごろまで何も食べずに寝ていました。
症状が違うのに、心配性の夫の従姉妹がコロナかもしれないというので、夫が簡易検査キット(一人に一箱薬局でもらえます)で検査してくれました。陰性でした。

ともあれ、ポルト観光です。
借りているアパートの前を通っている500番のバスで、サン・ベント駅まで。

壁のアズレージョは1930年に制作されたものだそうです。

上のは葡萄の収穫風景でしょうか?
下のはなんと言う名前の教会だったか忘れましたが、外壁にアズレージョ。

目抜き通りのひとつ。コロナ以前は観光客が溢れてて、歩き難いぐらいだったそうです。
これぐらいが丁度いいかも。

下のは川沿いの建物風景です。外観を残さないといけないと言う規制があるのだと思います。

お昼は小さなシーフードレストランで。
私のは魚介類のリゾットで、夫のはメカジキか何かの魚料理だったそうです。

美味しかったです♪
ちょっとまだ完全には復調していないので、この辺で、ポルト観光はまだまだ続きます。

ポルトまで

オビドスに2泊した後、ポルトに向かいました。
私達のオビドス宿泊最終日がチョコレートフェスティバルの最終日で、翌日には静かな町に戻っており、問題なく細い道を車で通り抜けることができました。
途中で2ヶ所、立ち寄りました。
1ヶ所目がナザレ。

愛ちゃんママさんはナザレが気に入られたとのことですが、私達が立ち寄った時は月曜日で、日曜日には漁にでていない為か、行きたかったシーフードレストランも閉まっていました。
よって、「おー、これがナザレの海岸ねー」と水際まで行ってみただけで、ナザレ観光は終わったのでした。

次に立ち寄ったのは、アヴェイロという町。
ポルトガルのベニスと呼ばれているそうです。
酪農が盛んで、その昔は肥料にする海藻を集めるモリセイロと呼ばれる船がたくさん川を行き来していたそうです。モリセイロは今は下の写真のように観光用になっています。

川の周辺を散策し、簡単な昼食後、再び車乗。

ポルトに着いたのは午後5時ごろでした。
泊まりは、この旅の中で、唯一のAirbnbです。あとは全部ホテルでした。
Airbnbのサイトで一目見て、どうしても泊まりたかったアパートに到着〜♪
管理会社の担当者が来てくれて、一緒にまず駐車場に向かいます。
なんと、車専用のエレベーターがあって、それでアパートがある階まで行きます。
(下の写真はアパートから出る時のもの。)

近未来風?スタイリッシュなアパートです。
全床暖房で、床にも灯りがつきます。コンセントは隠されていて、手で押すとでてきます。
灯りの調整は壁のタッチパネルで。
スターウォーズ(全部の灯りがつきます)、食事用(半分だけ)、など色々な設定がありました。

真ん中にキッチン。その裏側がトイレとシャワーになっています。
キッチンは食洗機まで完備。

リビングルームから見たバルコニーからの景色です。ドウロ川が目の前です。

ここで快適な3泊4日を過ごしました。ポルトでの観光は明日に続きます。

オビドス

ポルトガルに出発する数日前に、オビドスの宿泊先に予定しているホテルからメールが来ました。
「チョコレートフェスティバルの期間なので、城壁内には駐車できません。なるべく荷物を軽くして、チェックインしてください」
え?

今更旅程を変えられないので、チョコフェス真っ最中のオビドスへ。
どう考えても一方通行でしょーという狭さの対面通行の道を通って、城壁に到着しました。
城壁のすぐ外に駐車スペースがあったので、そこに車を停め、2泊するのに必要なものだけを入れたスーツケースを引きずって、ホテルへ。

ホテルはポサーダ・カステロ・オビドスです。ポサーダというのはポルトガル政府が管理していた歴史的な建物を改修したホテルのこと。ここは15世紀の城でした。城というよりも城塞です。
数あるポサーダの中でも人気のホテルなのだそうですが、この旅で泊まった4ヶ所のポサーダの中で私的には一番点数が低かったかも。昔の雰囲気をそのまま残しておく趣旨なのか、なんとなく寒々しいように感じました。
そういう雰囲気が良いっていうことなのかもしれませんけれど。

で、寒々しいホテルとは打って変わって、町中はフェスティバルを楽しむ人たちで溢れかえっていました。
下の写真は城壁の上から見下ろしたもの。
人が多過ぎ!しかも、人気のお店の前は長蛇の行列です。
銀座の歩行者天国や渋谷交差点の人混みに比べたら、これぐらいの人出はどうっていうことはないのかもしれませんけれど。普段の人口は800人ほどなのだそうです。

オビドスは「谷間の真珠」と称えられ、13世紀の終わり頃から19世紀までは王妃の直轄地だったそうです。
普段は下の写真のように静かで、情緒あふれる場所なのでしょうね。

チェックインした後に車を城壁内に入れられることがわかって、車一台がギリギリ通れる門を通って車も入城しました。オビドスにいる間に、周辺地域も見てみたかったのですが、たくさんの人が溢れる中で、一方通行を装った対面通行道路を通っての行き帰りが難しそうなので、次の日もオビドス観光に終わりました。
下のは歩いて行ってみた城壁外にある水道橋です。16世紀のものだそうです。

メインゲート。上部はアズレージョで覆われています。これは18世紀のものだそうです。

1日目はホテルで夕食を食べたのですが、2日目の昼と夜は街で見つけた素敵なレストランで。
現代的にアレンジされたポルトガル料理がとってもおしゃれで美味しかったのです。
残念ながら食べるのに夢中で、写真を撮るのを忘れてました。
ハッと気がついた時はデザートの前でした。ヘーゼルナッツクリームのケーキとアイスクリーム。

Real Casa do Petisco – Largo São João de Deus, 2510-087 Óbidos

愛ちゃんママさん、チョコレートのカップでさくらんぼ酒(ジンジャ)も飲みました〜♪
くいっと一息にいっちゃって、あんまり味が分かりませんでしたけど(笑)

そんなこんなでチョコレートフェスティバルに明け暮れたオビドス滞在でした。